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総じて、ただのネコスキーな社会保険労務士&ファイナンシャルプランナー、「ゆずきりん」です
くだらない「ひとりごと」はこっちのブログにぼちぼち追加予定です↓
「これって、こんなやつが書いてるのかーふむふむ」とでも思っていただければ、これ幸いです。
少しでもイメージ湧いた方が、なんとなくブログも読みすすめやすいかなとかーと思ったりするなど…気軽に流し読みしてください(・∀・)
ゆずきりん?ってこんな人(・∀・)

★ゆずきりん
★大阪のはじっこにて生息中
★社会保険労務士×FP(AFP)
★離婚(ひとり親)→ステップファミリー
★公務員歴長め、社保や福祉系多め
★人生、半世紀まであとちょっと!
人間、半世紀近く生きてると…そりゃもう、いろいろありますわな(唐突)
学生の頃、20代の頃、30代の頃…当時はそれなりに踏ん張って、がむしゃらに生きてきたつもりだったんだけど、

振り返るとビックリするくらい拗らせてて、心の底から恥ずかしい限りである…

大人になるってそういうこと、たぶん笑
そうは言いつつも、贅沢はできなくとも多少は欲しいものが手に入るとか、食べたいものを食べられるとか、きちんと睡眠が摂れているとか…
毎日何かに怯えることなく笑って過ごしていられるなら、人生の選択はそれなりに間違っちゃいなかったんじゃないかな?
今は、なーんとなくそう思っています。
生い立ちのことなんぞ、少しばかり…
「昭和の家庭の象徴」というか、一般家庭の代表といえば「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?
わたしは、どちらの家庭とも、かーなーり程遠い生活を送ってきました。
残念ながら、ドラえもんもいません(そりゃそうだ)。

もしもボックスがあれば、人生変わっていたんじゃないかと真剣に思ったりw
貧乏だった幼少期から学生時代
わたしは、10歳の時に母親を、13歳の時に父親を亡くしています。
ちなみに、わたしが記憶している両親というのは、
- 母親→ヒステリックですぐに怒鳴る殴る
- 父親→無口で無関心

当時はそんな言葉すらなかったけど、いわゆる「毒親」ってやつでした
そのうち、アルコール依存で睡眠薬を常用するようになった母親と、事なかれ主義の父親の喧嘩(というか一方的に母親が暴れる)が絶えず繰り広げられる日々。
学校から帰って、夜ご飯食べつつ今日学校であった出来事を話すとか、みんなでテレビ観て笑いながらくつろぐ…という平凡な日が、この頃はまったくもって記憶にございません。

「家族団欒」ってナニソレ?美味しいの?状態
結局、精神を病んだ母親は自殺、自暴自棄になった父親もアルコールに溺れて病死、という顛末を迎えるわけです。
ここまでの経緯からも想像はつくとおり、どちらかというともともと生活水準低めの暮らしをしていたのに加えて、両親の死亡により収入が一切なくなる=どうやって生活していくのか問題が浮上します。
当時は兄もまだ高校生だったので、18歳未満の児童だけで生活していけるのか、親戚が引き取るのかどうするのか(もちろん嫌がられる)などなど。
最終的には、父親の遺族厚生年金が受給できることになったんですが、受給できるまでの短期間は生活保護のお世話になったりもしました。
中学生だったわたしも、奨学金制度などを駆使して高校に無事に進学することができました。

この時は公的制度にめちゃくちゃ助けられました!
それからは兄とふたりで生活することになって、めでたしめでたし…とはいかず笑
変に「妹の面倒を見なくちゃスイッチ」が入ってしまった兄のとった行動はというと、
自分の価値観をもって、妹を支配下に置こうとしたんですね(めんどくせぇ)。
そこにストレスも混じって、暴力が加わります。 (ちょっとした言動が気に食わないレベルで、自分の気が収まるまで暴言と暴力を何時間も続ける)
簡単にいうと、人格を認めないってやつですね。

いくら妹やいうても、まだ未成熟な高校生が背負うのはかなりのプレッシャーやし、荷が重いやろな…

兄にしたら間違いなくいい迷惑ではあっただろうなとは思うよね
そんな生活が続くと、だんだんなにもかも面倒くさくなってくるんですよ。無気力ってこういうこと。
何かを望んだところでどうせ叶わないんだし、波風立てない方が何倍もラク。 なーんかもう、どうでもいいやー的なw

結果的に両親がいた頃となんも変わってない事実
とにかく、この状態から逃れるためには、さっさとこの家から出て自立するしかない!
わたしが自分の人生を生きられるのは、この家と縁を切ることがスタートだ!と思いながらも、心のどこかでやっぱり認められたい気持ちもありました。
それと同時に、本来ならいちばんの理解者であってほしい家族に期待するだけ無駄という諦めと、 「血縁関係なんてクソくらえww」 ってのは、今もずっと心に抱いています。

遠くの親戚より近くの他人、とか言うし(ちょっと違う)

血の繋がりがあるから無条件に愛せるかというとそんなことはない(断言)
この頃は「自分らしく生きる」どころか、生きている意味すらもよくわからず、ただただ自分を取り巻く得体の知れない黒いモノが通り過ぎるのを、じっと息をひそめながら待っていたような、そんな気がします。
自立して自由を手に入れた…はずだった?
そんな家庭環境だったので、将来に夢を持つこともなく、でも就職しなければ食べていけないという現実も手伝って、とにかく早く自分でお金を稼ぎたい!という気持ちが最高潮だったこの頃。
安定して収入が得られればこの家からオサラバできる日も近いはず!と思ってたんですよね。
大学進学も許されなかったので、兄の勧めで公務員試験を受け、まだ当時は今ほど狭き門でもなかったのもあり、めでたく高校卒業とともに就職が決まります。
就職してからは学生時代ほどの拘束はなくなったとはいえ、一人暮らしを安易に認めてくれるわけがない兄。(支配しておきたいのと、わざわざ別に家を借りて暮らすなんて経済的に無駄だろうという発想)
それを強行突破するのが、「結婚」という手段でした。

…それはちょっと安易すぎん?笑

それだけさっさと家を出たかったんですよ。 いや、まじでw
そんな結婚がうまくいくわけもなく…
4歳年上の元旦那は、一見理解がありそうで、隠れモラハラ気質のある人でした。
さらに、お金にもだらしがなかった。
若さというのは愚かなもので、「一緒にいたら真面目になるんじゃないか(期待)」なんて思っちゃうんですよ…

いや、絶対治りません!お金にだらしないのは病気の一種(キッパリ)
子どもが生まれる頃には、それはどんどん顕著になっていきます。
子どもの急な病気で会社を急に休むとか、普段から残業せずに済むような仕事のやりくりとか、そういう外面の悪いことや嫌なことは自分は絶対しない。
全部わたしに押し付けておけば自分は逃れられるし、多少家で嫌味言われるくらい痛くも痒くもないし、ごめんって言っとけば許されるって感じ。常に自分ファースト笑
さらに金銭面では、元旦那のみならず、親戚一同揃って金銭感覚のおかしい人たちでした。
ことあるごとにお金を無心され、元旦那には「ちゃんと返させるから今回だけは助けてあげて」と頼まれるけれど、返してもらったことは一度もなく。

「今回だけ」が、その後何度もある不思議

子どもたちの将来のために頑張って働いてやりくりしてるのに、「貸して」の一言で簡単に持っていかれるの悲しすぎる
そして極めつきは、元旦那のカードローン発覚!残高およそ100万円超。
しかも二人め出産後に(実家もないので)自宅で乳飲児を抱えてワンオペ育児に奮闘していた頃に、残業と偽ってパチンコで借金を重ねていたという事実が追い討ちをかけます。
一番大変な時期の育児と、それに疲れ果てる妻から逃げるために…借金してまでパチンコ、だと?
そんなこんながあって、離婚を決意したわけですね。
借金ももちろん腹立たしかったけど、なによりも嫌なことしんどいことはすべて押し付けて、肝心な時に助けてくれるどころか、自分かわいいなんて逃げるヤツ、ってのは最悪だ(と思う)。
ここで「やはり経済的自立は大事だな」と痛感するのです。
一緒にいてもリスクしかない、いやいや 早く縁を切らなくちゃ、子どもにまで借金の影響で迷惑かけられるなんてたまったもんじゃない。
もし、そんな状態で元旦那に経済的に依存していたら…離婚したくてもできずに、きっと、また無気力な人生アゲインですよ。
幸い、子ども二人を育てられるだけの経済力は身につけていたし、どうせワンオペだったので一人で育児することにもそれほど不安もなく。
そこからは自力でいろいろ調べて、財産分与から養育費の取り決め、公証役場に行って公正証書の作成まで、プロの手を借りることなくすべて完結!(我ながらよくやった笑)

養育費は子どもの権利だからねー、口約束だと不安だもんね

ちゃんと養育費は18歳まで滞りなく支払ってもらったよ、それだけは感謝してる!
誰かに依存して生きるというリスク
親子であろうと夫婦であろうと、血縁の有無とか関係なく、結局は別の人格を持った他人。
親の看護下にいて、一人じゃ生きていけない子どものうちは、否応なしに周りの大人に依存するしか生きる術がないのだけれど、
ある程度の年齢になれば、やっぱり自分の身は自分で守れるだけのチカラを身につけておきたいと思う。じゃないと不安で仕方がない。
「自分が自分らしく生きるためには、誰かに依存しちゃいけないんだ」というのが、いつしか自分の中に根付くようになっていたんですよね。
とはいえ、ひとり親として生きていく覚悟ってのもそれなりに必要なわけです。
自分ひとりならまだしも、守らないといけない存在がある限り、絶対に路頭に迷うわけにいかない。
子どもたちに自分と同じような体験はさせたくないから、子どもたちが成人するまでは何があっても死ねない。
ずっと、それだけを生き抜く理由にしながら、ここまでやってきた感、満載。

自分は誰かに依存なんてできない(甘えられない)と思いながらも、自分しか頼る人がいない存在(子ども)にはなるべく安らげる環境を与えたいのよね
もちろん、結婚して夫婦仲良く暮らしながら子育てできるのが一番理想的なんだけれども、人生って何が起こるかわからないじゃないですか。
わたしみたいに見る目なさすぎて離婚…ってのは避けられたとしても、事故に遭う確率や病気になる可能性だってある。
一家の大黒柱がひとりしかいなかったら、そのひとりに何かあったら全員共倒れになってしまうかもしれない。
いざという時に、一馬力よりは二馬力の方が…たとえ一.五馬力でもあった方が物理的にも精神的にも安定するのは間違いない。
夫婦で協力し合えるならそれに越したことはないし、困った時に助け合える存在は大切。

依存するのと、誰かに頼るのとは、全然違う。頼ってもいいけど、依存だけしちゃうの危険…
その大切な人に何かあった時に、自分にも支えられるチカラがあった方が、みんな幸せになれるんじゃないかなーと思うのです。
ファイナンシャルプランナーからの社労士をめざしたワケ
幼少期の両親との死別、自身の離婚やその後のシングル生活などを経験する中で感じたこと。
それは、人生で知っておくべき大切な情報は、自分から取りにいかないと手に入りづらいということ。
わたしの場合でいうと…遺族厚生年金や生活保護、奨学金制度など、さまざまな公的制度に助けられてきたおかげで、衣食住に困ることなく高校までしっかり卒業することができたし、
財産分与や養育費だって泣き寝入りせず、公正証書を作成したことできっちり最後まで支払ってもらえて、無事に子どもたちも成人を迎えることができました。
でも、これらの制度のことを、難しくてわからない、知らないし無理…なんて諦めていたら、もっと生活はしんどかっただろうし、もっと投げやりに生きていたかもしれません。
最初は、自分の生活のためにあらゆる制度を調べはじめたのがきっかけでしたが、子どもたちの手が離れる頃には、もっとちゃんと勉強したい!という気持ちがむくむくとわいてきます。
かつての自分のように、なにかしら目の前に困難な壁が立ちはだかった時に、どうしたらいいのかわからずに途方に暮れる…ということのないように、適切なアドバイスできる人になりたいと思うようになったのです。
「なんかちょっぴり詳しいオバサン」ではなくて、「プロとして助言できる知識」を身につけたかったんですよね。
きちんと制度を学んでもいない、どこかで聞きかじっただけの適当な理解だけで、無責任に他人の人生に口出しするなんてオソロシイじゃないですか。
そこでまず取り組んだのが、ファイナンシャルプランナーの取得でした。

生きていくうえで最も大切なのは「お金の知識」だ!
ファイナンシャルプランナー(2級)とAFPを無事取得した後は、雇用や年金など社会保険周りの知識を深めたくなり、さらに社会保険労務士をめざします。
そして、勉強スタートから2年かけて社労士にも無事合格を果たし、2023年2月に社会保険労務士としての登録も済ませました。

ちゃんと登録しないと社会保険労務士とは名乗れないのである
それでも日々まだまだ初めて知ることの連続で、これからもずっと勉強し続けてアップデートしていかないと、あっという間に時代は変化していくし乗り遅れてしまう…と実感しているところです。
社労士×FPとしてはやっとスタートラインに立ったばかりですが、何かのご縁でここにたどり着いた方に、少しでもお役に立てれば…と願うばかりです。
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