はじめましての方も、何度かサイトを覗いてくださっている方も、ご覧いただきありがとうございます。
改めて自己紹介→「これって、こんなやつが書いてるのかーふむふむ」とでも思っていただければ幸いです。
少しでもイメージ湧いた方が、なんとなくブログも読みすすめやすいかなとかーと思ったりしていますので、気軽に流し読みしてください(・∀・)
ゆずきりん(唯月りん)ってこんな人

★唯月(ゆずき)りん
★関西在住
★アラフォー世代のバリキャリ
★21で結婚→23、25で娘と息子を出産
★32で隠れモラ夫と離婚→シングルの道へ
★子どもも成人しそろそろ隠居したい
「さっさと自立して、家を出たい」…幼い頃からそう思い続け、気がつけば「一人前に稼ぎ、誰に依存せずとも生きていける」のが自分のプライドになっていました。
でも、それはめちゃくちゃ「うすっぺらなプライド」でしかなく、自分の価値はそれしかない、それしか自分を支えるものがないことも、薄々感じていたり。
とにかく自分の力で生きる力を持つことが優先で、夢とか目標とかやりたいことは考えること自体が悪だった(と自分で勝手に思っていた)。
だから、大学進学しなかったことを劣等感に感じていたり、公務員で安定したそれなりの収入を得てきたことに、心のどこかで優越感も抱いていたり。
一見立派な大人でいることに安堵感を抱いている…そんな世間一般の物差しでしか自分の価値を測れない、中身のない自分のちっささに嫌悪感も感じながら。
仕事に追われ、育児に必死で、気がつけば子どもたちも成人し、これからの自分の人生を考えた時に、なにも残っていないことに気がついたんですね。
時間に追われ、自分自身の幸せについてあまり真剣に考えてこなかったなーと。なんならいつ死んでもいいとさえ思っていたので。
人生に満足しているか?このままで大丈夫?
そう自分に問うた時、人生の成功はコレじゃないと気がついたのです。
ストレス感じながら、くだらないプライドにしがみついている限り、前に進めないなーと。
生い立ちのことなんぞ、少しばかり…
昭和の家庭の象徴というか、一般家庭の代表といえば「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」を思い浮かべる方も多いかと思います。
わたしは、どちらの家庭とも、かなり程遠い生活を送ってきました。
残念ながら、ドラえもんもいません。
もしもボックスがあれば、人生変わっていたかもしれませんw
人格を認めようとしない人たち
わたしは、10歳の時に母親を、13歳の時に父親を亡くしています。
こう言うと、たいていの人は、ちょっと眉根を寄せて

それは可哀想に…さぞかし大変だったでしょう
と同情してくれるのですが…
しかしながら、じつはトンデモナイ毒親だったので、正直なところ「苦しさから解放された」と思ったのが現実です。
わたしが記憶している両親というのは、
- 母親→ヒステリックですぐに怒鳴る殴る
- 父親→無口で無関心
とにかく「子どもは嘘をつくもの」と思い込んでいる母親には、ことあるごとに嘘つき呼ばわりされ、身に覚えのないことで怒鳴られたり、何時間も外に放り出されたり…
もちろん父親は庇ってはくれません、見て見ぬ振りが得意分野。
今思えば、ちょっとした虐待じゃないんかいw
謝るまで絶対許してはくれない(反論は受け付けないし、逆らおうものなら余計しばかれるw)ので、それが母親の妄想であろうと勘違いであろうと、「わたしが嘘をついてました、ごめんなさい」といえばそれで満足する人でした。
わたしは賢い子どもだったので(←おいw)、小学生にあがる頃にはその技を身につけますw
無駄に怒られ殴られて何時間も苦痛を味わう必要性があるかい?
嘘をついてないのに、殴られないために嘘をつくって矛盾しかないわ。
母親は、ちょっと精神的に病んでいたようでアルコール依存と睡眠薬を常に服用するようになります。
同時に、家のこともほとんどせずに寝て過ごすようになり、父親との喧嘩も絶えない日々。
そこに巻き込まれ、生きた心地のしない毎日。
火の粉が飛んでくることを恐れ、息を潜め、嵐が通り過ぎるのをひたすら願う。
巻き込まれたら最後、何時間も拘束されて罵倒されたり、夜中まで寝かせてもらえなったこともしばしば。
母親は家出を繰り返しては、父親に夜中に連れ戻され、それに付き合わされるのも苦痛だった。
学校から帰って、夜ご飯食べて、テレビ観ながらくつろいで…という平凡な日が、この頃はまったくもって記憶にございませんw
いつしか「この人さえいなければ、平穏な日々が訪れるんじゃね?」 という感情が脳内をよぎるようになります。
それが現実となるのは、わたしが10歳の時。母親は自殺をします。
それで平和が訪れた…かと思うと、現実はそんなに甘くはなくて。
常に無口で無関心、母親に家事も育児もすべて任せっきりだった父親がそれに耐えられるはずもなくw←
子どものことは相変わらず無関心のまま、お酒に溺れて、父親はわたしが13歳の時に亡くなります。
妻に先立たれて(しかも自殺というカタチで)、精神的に追い詰められていたんだろうな…とは思うんだけれども、それにしても無責任。育児放棄以外のなにものでもないじゃんねw
そもそも、夫婦間の話なんて大人の都合だし、子どもには関係ない。
それに振り回されるのなんてたまったもんじゃないし、責任取れないなら最初から産まなきゃええわけで。(産んだなら最後まで責任取れよと思うのですよね)
父親が亡くなった時も、あれこれすったもんだあります。
当時は兄もまだ高校生だったので、18歳未満だけの児童だけで生活していけるのか、親戚が引き取るのかどうするのか(もちろん嫌がられるw)、という問題など。
結局、兄とふたりで生活することになるんですが、ここで変に「妹の面倒を見なくちゃスイッチ」が入ってしまった兄のとった行動はというと…
自分の価値観をもって、妹を洗脳しようとすることでした。
そこにストレスも混じって、暴力が加わります。 (ちょっとした言動が気に食わないレベルで、自分の気が収まるまで暴言と暴力を続ける)
門限やお金の使い方(服など必要なものを買うのもチェックが入る)にはじまり、学校生活や進路も自由な選択はありません。
部活はダメ、文化祭や体育祭の打ち上げもダメ。大学進学も意味がないからダメ。
簡単にいうと、人格を認めないってやつですね。
兄なりに妹の幸せを考えていたのかもしれないけど(どっちかというとコントロールしたかっただけw)、違う意見を述べようものなら激しく非難されるのが目に見えてるわけで。
そうすると、だんだんなにもかも面倒くさくなってくるんですね。
何かを望んだところでどうせ叶わないんだし、波風立てない方が何倍もラク。 なんかもう、どうでもいいやー的なw
まあ、アレですよ。母親にしろ父親にしろ兄にしろ、どうしてこうも娘(妹)の人格を無視する人たちばっかりなんだか…
とにかく!この家から出るためにはさっさと自立するしかない。
これはもう幼い頃からずっと思い続けてましたね。
わたしが自分の人生を生きられるのは、この家と縁を切ることがスタートと思いながらも、心のどこかでやっぱり認められたい気持ちもありました。
それと同時に、本来ならいちばんの理解者であってほしい家族に期待するだけ無駄という諦めと、 「血縁関係なんてクソくらえww」 ってのは、今もずっと心に抱いています。
何かにつけて、「産んでくれた親に感謝するもんだ」っていうセリフを見ると吐き気がします。 (その人が感謝するのは勝手だが、押し付けんなと思うだけです、はいw)
自分が親になった今も「わたしが勝手に産んだんだから、子どもたちに感謝なんてしてほしくない」のです。
自分の人生は自分の意思と選択で生きてこそ。
他人から見て貧しかろうが、心が安らげる場所があるとか、自分自身が幸せと感じること、それがいちばんの幸せなのですよ。
虐待されても両親のことを愛してるのが子どもだとか、どんな親でも一緒に過ごすのがやっぱり幸せなんだとか、そういう枠組みの中に押し込めたがる人たち、神話的な発想を信じたい人たちに違和感を感じるわけです。
自立して自由を手に入れてから
大学進学は諦めたものの、兄の勧めで公務員試験を受けます。
とくに将来に夢があったわけでもなければ、就職しなければ食べていけないという現実もあったので、安定して収入が得られるならこの家からオサラバできる日も近かろう、と。
ぶっちゃけ、「こういう家庭に育ったおかげでグレた」なんていうのは損だと思っていまして。
要領だけは良かったのも手伝って、進学校の中でも成績は良く。
まだ公務員の門も今ほど狭くなかったので、難なくクリアします。
就職してからは、学生時代ほどの拘束もなくなりますが、一人暮らしを安易に認めてくれるわけがない兄。(支配しておきたいのと、わざわざ別に家を借りて暮らすなんて経済的に無駄だろうという発想)
それを強行突破するのが、「結婚」という手段でした。
…我ながら、この発想は安易すぎたと反省しつつも、それだけ家を出たかったんですよ。 いや、まじでw
そんな結婚がうまくいくわけもなく
4歳年上の元旦那は、一見理解がありそうで、じつはモラハラ気質のある人でした。
そして、お金にもだらしがなかった。
若さというのは愚かなもので、「一緒にいたら真面目になるんじゃないか(期待)」なんて思っちゃうんですよ… いや、絶対治りません!お金にだらしないのは病気の一種です(キッパリ)
子どもが生まれる頃に、それはどんどん顕著になっていきます。
- 育児は基本的にわたし任せ。娘の出産後、退院する日に遊びに行ってしまう。
- 保育園に通い始めて、熱が出たり病気になったら第一声が「俺は休めない」。
- そのくせ、有給休暇はゴルフでほとんどない。
- 保育園に迎えにいく気がないので、残業も飲み会も好き勝手に入れる。
- それだけ娯楽に勤しむと当然お小遣いでは足りず、家の貯蓄をカードで食い潰す。
指摘すると、一応は申し訳なさそうな「フリ」はするものの、心の底から理解していないので同じことを繰り返します。
そして謝ったら済むと思っているので、会社を急に休むとか残業しないようなやりくりとか、そういう外面の悪いこと、嫌なことは自分は絶対しない。すべてわたしに押し付けても許してくれると思っている。
心の中では、自分の方が年上だし収入も多いし、お前は女だから子どものために休んでも大丈夫でしょ、みたいな感覚はあったでしょうね。
金銭面では、元旦那のみならず、一族郎党が金銭感覚のおかしい人でした。
ことあるごとに、お金を無心されて「貸してあげてほしい、ちゃんと返させるから」と頼まれるけれど、返してもらったことは一度もない。
総額200万円以上は貸していたのだけど、それもわたしがやりくりして働いてきたお金なわけでw
そして極めつけに、元旦那もじつはカードローンに手を出していたことが発覚します。残高およそ100万円を少し超えるくらい。
毎月のように行っていたゴルフも小遣いでは足りずに、カード切って家計から出していたくせに、なんでさらにカードローン?と思いますよね。
問い詰めると、パチンコにすべて消えていたそうで。
その借入履歴を取り寄せてやったところ、カードローンを繰り返していた時期が、わたしが二人めを出産して(実家もないので)ワンオペに奮闘していた頃と一致するという事実が追い討ちをかけます。
その頃、元旦那は仕事が鬼のように忙しいと、ほぼ日付が変わる時間にしか帰ってこなかったんですね。ふたりをやっと寝かしつけた頃に帰宅しては、毎晩ゲーム三昧。
たまには早く帰ってきてほしいと言っても無理で、仕事なら仕方ないなと思いながらも2歳と0歳の育児を一人で毎日エンドレスにするのはかなり精神的にしんどいものがありました。
仕事してる方がまだ自分の時間がある気がするんですが、育児休暇中はトイレに行く暇さえ左右されますから。
そういう苦労を知ってか知らずか、いや伝えてもわかろうとしなかったんだけどもw、残業と偽って、パチンコに通っていた日があったわけですよ。
一番大変な時期の育児と、それに疲れ果てる嫁から逃げていたって…どんだけ自分かわいいねんwwwって思いません?
そんなこんながあって、離婚を決意したわけですね。
性格の不一致とかなら大人同士の問題で片付けられるかもしんないけど、お金の問題って子どもに与える影響も大きい。
わたしがどんだけ働いても、やりくりして貯金しても、こいつら一族に食い潰されるなんてゴメンだ。
これで、子どもの将来やりたいことを妨げるとか、諦めなくちゃなんないとかなったら、バカじゃん。
そして肝心な時に自分だけかわいいなんて逃げるヤツ、助けてくれないヤツ、ってのは最悪だ(と思う)。
ここでさらに「やはり自立は大事だな」と痛感しました。
結婚の失敗は自己責任なんで(こういうヤツを選んだのは紛れもない自分なので)、一方的に元旦那が悪いとかなんとかいうつもりはないのだけど、ただただ、わたしには彼らの行動が理解ができなかった。
一緒にいてリスクしかないと判断したから、もう一緒には暮らせないと思ったし、 縁を切らないとこっちに(とくに子ども)まで、借金の返済なんかがのしかかってくると困る。
そんな時に、離婚したくても経済的にできないってなったら、人生詰んでしまう。
幸い、子ども二人を育てられるだけの経済力を身につけていたし、どうせワンオペだったので一人で育児することにもそれほど不安はなかったんですよね。
むしろ旦那の面倒みたり、あれこれ気を遣わなくて済む分、シングルでいる方がラクなんじゃね、とすらw
誰かに依存して生きるというリスク
学生の頃くらいまでは、たいして生きることに興味がありませんでした。
将来の夢や目標とか、やりたいことを叶えるとか、そういう感情を抱くことに違和感があったというか、むしろ「なんのために生きているのかすらわからない」「生きてる意味ってあるの?」とずっと思っていたんですね。
自分が存在することや、生きていることに価値があるのか(むしろ疎まれているだけなんじゃないのか)、べつに誰かに必要とされているわけじゃないしなーみたいな。
でも、自分で命を断つということはなんとなく選ばずに、こうやって生きてきてしまっているのは、無意識に心のどこかで、いつか、何か、奇跡を信じていたいという期待があったのかもしれないのですがw
とくに親や兄の監護下にいた頃…自分ではどうすることもできない、ただただ従うしかない無気力な時代は、もしかしたら誰かが救ってくれるかもしれないなんて、正義のヒーローの登場を待ち望んでいた気持ちがどこかにあったかもしれません。
いつか家を出て、そのうち結婚でもしたら、平和な家庭を持てるかもしれないな。そしたら専業主婦にでもなって大きな犬でも飼って、心穏やかに暮らしたいな、とかね。
でも、実際に社会に出て、女性は生きづらいとか、旦那もパートナーとして対等に接してくれないとか感じることも多く。
こういう時に誰かに頼れたらいいのかもしれないんだけど、正義のヒーローなんてどこを探してもいないわけですよ。
親子であろうと夫婦であろうと、結局別の人格を持った他人なんだから、やっぱり自分の身は自分で守らないとダメなんだと再確認してしまうんですね。
「自分が不自由なく生きるためには、誰かに依存しちゃいけないんだ」というのが、自分の中に根付くようになり、結局ここまで生きてきてしまった…というなんとも可愛げのない話w
じゃあ、そうやって自分のチカラで生き抜いて、自信をつけて、今は生きるのが楽しいとか、生きていることに価値があるって思えているのか、って話なんですが。
「自分には生きている価値なんてないんじゃないのか」…そういう感情が今はまったくないかといえば、この先、完全に消えることはないでしょうね。
「子どもたちが成人するまでは責任があるから死ねない!」とはもちろん思っていたのですが、それも達成してしまったので、いまんとこわたしの生きる理由というか価値は、なにかよくわかりませんw
よく、「人はこの世に生をうけたからには、なにかしらの使命が与えられているんだ、生きている意味があるんだ」っていう人いるじゃないですか。
わたし、それって人間の単なる妄想だと思うんですよ。
そもそもぶっちゃけ神なんて存在しないと思っているんだけど、自分の存在価値を認めたいがために「神」という存在を創りあげて、そういうことにしておこうっていうね。
仮に神がいたとて、わたしごときに使命を与えるなんて恐れ多いわw
なにが言いたいかというと…
「壮大な意味や価値がないと生きていちゃダメなの?」
「それらを見出すために無理して頑張らなくても、存在を認めてあげていいんじゃない」かと。
そもそも、生きていること自体が苦行に近いと思うんですよ。
なので、その中でどんだけ平穏に生きられるか、そのために自分がどれだけ最適な選択をして人生を最適化していくか、それに尽きる気がするんです。
自立するったって、がむしゃらに働かなくてもいいと思うんですよ。
まずはある程度資金をつくって、それを運用していくのもアリだと思うし、これだけネットが普及して便利な世の中になったんだから、収入を得る手段だって今までとは比べ物にならないくらい可能性が広がっているわけです。
子どもさんが小さかったり、病気がちだったり、時間が思うように使えなかったり。
わたしこんな状況だからダメだわ、ムリだわ。
そう思ってしまったら、世の中や自分の運命に悪態ついて生きていくほど、さらにその先には苦行しか待っていないと思うんです。
まずは一歩、行動することが、人生を最適化して楽しむきっかけになるかもしれない。
あとどれだけの人生が残されているのかわからないし、明日、事故に遭って死ぬ可能性もあるわけで。
とりあえずは子どもたちも無事に成人してくれたことに感謝して、今は心穏やかに(仕事はアホほど忙しいけれどw)過ごせていることに満足しつつ、まだまだ楽しいことにチャレンジしていきたいと思っています。