子育ては先の見えないトンネルだ…と思っていても、いつか嫌でも先が見えちゃうよという話をしよう

猫とコラム

人間は生物であり、動物である。

動物は子孫繁栄を繰り返す。人間だってもちろんその例に漏れない。

だから、「子育て」はどの動物であっても、その手法は違えど、種を絶やさないためには必要なのである。

ただ、ちょっと面倒くさいのは、人間には「感情」があるということ。

「真っ白」な状態で産まれてくる赤ん坊を立派な人間に育て上げるということ。

人間をつくるというのは、めちゃめちゃしんどい。

そんな簡単なことではない。ゲームみたいにリセットもできない。

そのプレッシャーから理想の子育て論や教育論に振り回されたり、先の見えない不安に押し潰されたりして、心の余裕がなくなりがち。

とくに、新型コロナウイルスの影響で、外出自粛の日々。

子育て中の方…とくにワンオペ育児を余儀なくされている方の苦しい胸の内が聞こえてくるたびに思う。

ゆずきりん
ゆずきりん

子育ては、なるべくひとりでしたらアカン

いま、子育てがしんどいな、と思っている人は自分を責めちゃダメ!…という話を自責の念も込めて書いてみる。

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娩出した途端に求められる母性、親としての責任って?

娩出した途端に求められる母性、親としての責任って?

イマドキは流行らないと思うが、わたしが子育て真っ最中だった20年くらい前(年齢がバレる)

まだまだ「3歳児神話」だとか、「専業主婦と兼業主婦の闘い」が盛んに繰り広げられていた。

知らない人のために簡単に解説
  • 3歳児神話
    →母親は子どもが3歳になるまでは片時も離れず、ずっとそばにいるのが重要説(働くなんてとんでもない)
  • 専業主婦と兼業主婦の闘い
    →どっちが子育てするうえで、子どもが幸せになれるのか…という表向きの視点を持ちつつも、自分たちを正当化したい人たちの論争

出産しても働く女性は増えたとはいえ、今ほどポピュラーでもなく、結婚と同時に仕事を辞める「寿退社」は減っていても、出産と同時に(一旦は)辞めるという人はまだまだ多くて、育児休業とか出産育児一時金とかも広くは活用されていなかった、と思う。

当時は公務員だったこともあり、そのあたりの制度はきっちりと使わせてもらえたのはありがたかった。

しかし男性職場(技術職が多かった)なうえに育児休業とるような若い人がいなかったし、周囲も奥さんは専業主婦が多い世代だったこともあり、子育てへの理解は世間一般並みだった。

  • 育児中だからたいした仕事はできないだろと最初から見下される。
  • 断ってもないのに残業は無理と決め付けられ、使えないといわれる。

実際、保育所の送迎や突然の発熱(それでもほぼ病気をしない子だった)で迷惑をかけていたこともあったのは事実なので、そういう反応も仕方ないよねーとは思っていた。

それでも、ことあるごとに「母親」に対して「だけ」、子育ての責任を押し付ける風潮というのに違和感があった。

ゆずきりん
ゆずきりん

物理的に産んだのはわたしだけど、親としての責任は父も母も同じじゃないんかい

フルタイムで同じように仕事をしているのに、なぜ、保育園に迎えに行くのは常にわたしの仕事なのか。

たまに残業や忘年会などの行事で遅くなる日は、旦那に数日前からお伺いして予定を立てるのに、旦那は保育園の送迎時間が過ぎてから「今日は飲みに行くから飯いらん」と言い出す。

そんなたまーーーーーーーに、わたしが遅い日に、会社の同僚から「旦那さんが子どもの面倒見てくれてるなんて偉い!」といわれて顔が引きつる。

会社の同期の結婚式の二次会に出席した時に、引き続き三次会へ行こうとしたら、旦那の友人に「子どもおんねんからさっさと帰れ」といわれたことも。なんでやねん。

※ちなみに、周りの人は「ええやん、たまには」と援護してくれたが、本気でわたしが「早く帰りたいのに誘われて断りづらい」と困っていると気を遣って「帰れるように仕向けた」らしく、非常に大きなお世話である。

そうやって、なんとなく「子育ては母親の役目だよね」と無言の圧力をかけられるのがしんどかった。

理想とはかけ離れた子育てと生活と

理想とはかけ離れた子育てと生活と

人間は最初「無」であり「真っ白」な状態で産まれてくる。

母親のお腹の中からこの世に出てきて、初めて知る感覚。泣くことでしか「不快」な感情を表現できない。

当然、言語でのコミュニケーションなどできないので、なぜ泣いているかわからないけれど、とにかく泣き止ませないと!とあれこれ試す。

※赤ちゃんが「笑う」のは生後2ヶ月くらいからなので、産後の疲れ果てた身体と寝不足の精神状態で、2ヶ月までは本当に泣く赤ちゃんと対話するしかない。

抱っこして寝てくれたら安心するものの、ベットにおいたら再び泣き出す。ミルクを飲まない、吐く、以下ひたすら繰り返し。

1歳頃になると単語を覚え始め、少しは言語が使えるようになってくるが、それは意思疎通がきちんと図れるという意味ではない。

喜怒哀楽のコントロールができない、排泄の始末も、寝るという行為すら自分でできないのが子どもである。

大人とは違って、言葉で伝えたら意思疎通ができる相手ではない。

「ご飯食べようねー」と言っても「アンパンマン観る!あいとゆうきだけがともだっちだー♪」とか平気で言う(歌う)。どうしてご飯を食べないといけないのか、という説得など彼らには無意味だ。

意思疎通ができないのが積み重なるのは、結構ストレスになるものだ。

会社で「この書類、会議で使うから5部コピーしといて」と頼んだのに「昨日、カレー食いに行ったんですよ、マジうまかったっす」などと言われ続けたら、頭おかしくなりそうだよね。

これをずっと、ひとりきりでやってたら精神状態がおかしくなると言っても過言ではない。だって人間だもの。

虐待とかネグレクトとか、陥ってしまう人の気持ちがわからなくもないんだよ。もちろんダメだけど。

そういう事件がニュースで流れるたびに、

  • 母親失格。自覚が足りない。
  • 子どもが可愛くないんかね?
  • 無抵抗の子どもに手をあげるなんて最低

といった世間の声がさらに母親を追い詰める。

すべてが当てはまるわけじゃないが、虐待のニュースでは「加害者が、母親の場合は実母、父親の場合は養父のケースが多い」

つまり、母親の場合は「周りで子育てをサポートしてくれる人がおらず、ワンオペで頑張った結果、追い詰められて精神的に病むケースが多い」ということだ。

妊娠中は「この子が産まれてきたら、一緒にどんなことして遊ぼう」「どこに連れて行ってあげよう」「素敵な景色を見せてあげたり、いろんな体験をさせてあげたい」などと思い描いていた人も少なくないはず。

でも実際は、泣き叫ぶ我が子が手に負えない。なんで泣いてるのか、どうやったら泣き止むのかわからない。自我が芽生えてくると、同時に一方的な欲求をコントロールすることを教え、しつけようと思うがうまくいかない。

ここで相談できる大人がそばにいるとかなり違う。それがパートナー(夫であり父)であれば一番望ましいが、実母や姉妹などの身内でもいい。

一番大切なのは、大人と会話すること。今の状況を共感してもらえること。しんどさを理解してくれるだけでも救われる。

ここで、上からのアドバイスなど求めていないので、世の旦那さん、間違っても手は出さないのに変な口だけアドバイスはしないように。余計に「理解してもらえない」と機嫌を損ねられること間違いなし。

産後は実家に身を寄せて手伝ってもらえる人がいるなら、ぜひそうした方がいい。保育園に通っているならがんがん利用しよう。

ゆずきりん
ゆずきりん

実家がないとか頼れる人がいないなら、託児所を使ってもいい。お金に変えられないモノもあるから。

我が子を他の人に預けることに罪悪感など持たなくてもいい。

たまに育児から解放される時間も必要だ。

美容院に行ったり、映画を見たり…出産前に普通に誰に気を使うこともなく、できていたことができない歯痒さがあるはず。

あなたは母親である前に「ひとりの人間」なのだから、自分自身を大切にしてなにが悪いっちゅうねん。

趣味ややりたいことを、「母親だから…子どもが成長するまでは」と自分だけ犠牲になったり、我慢する必要はない。

あなたの夫(父)は育児のためになにか我慢していますか?

子育てする以上は多少の生活の制限はわかっていたことだし、我慢しないといけないことももちろんある。

でもどっちかだけ我慢するのではなく、お互いに尊重し合っていれば、それぞれ自分の時間を捻出することはできるはず。

子どもさんが小さい家庭ほど、自分が自由に好きなことをする時間があるのは、パートナーがその間やりくりしてくれているからだということが、往々にしてある。

自分は洗濯や掃除などの家事も手伝っているし、協力的なはず!

そう言っている人、けっこう周りに居るんだけど、

保育園のお迎えとか毎日の食事とか、時間の制限があって身動き取れないことは任せっきり…

一方では、そんな声を聞くこともしばしば。

保育園のお迎えは仕事を理由に段取りしてくれない、洗濯や掃除は空いてる時間にできるけど、食事は決まった時間に抜くわけにいかない。結果的に、自分(母親である私)が仕事の段取りを無理やりつけているといった具合だ。

個人的に、「時間を気にしなくていい自由」は子育て中には得られないものだ、と思う。(女性の感覚だけかもしれん)

それを自分だけ気にしない夫、旦那の姿に内心よく思っていない、という女性の声を耳にするので、世の旦那さんはちょっと振り返ってみてほしい。

子どもは良くも悪くも親の姿をちゃんと見ている

子どもは良くも悪くも親の姿をちゃんと見ている

うちの子どもたちが保育園に通っていた時、自転車の前に息子、後ろに娘を乗せて、毎日送迎をしていた。

息子が1歳、娘が3歳。お迎えはたいてい最後から数える方が早くて、閉園ギリギリの19時前。

まだまだ手のかかる年齢で、帰りにスーパーに寄って買い物をして、ご飯つくって食べさせて、お風呂入れて、寝かしつけて…そのまま一緒に電池切れ。という日々を繰り返していた頃。

ちょうど保育園までの道のりにマンション群があり、その公開空地に、ひとつの球状の物体が連なるオブジェがあったのだけれど、

毎日、帰り道に娘がそれを葡萄に見立てて、ひと粒もぎ取っては、自転車を漕ぐわたしと、その前に座っている弟に食べさせる真似をして「おいしい?」と聞く…というのが日課になっていた。

保育園から自宅までの道のり、そこではいつも「今日、保育園であったできごと」「習った歌」などを会話する時間だったし、子どもなりに母親の余裕のなさを感じていたのかもしれない。

冬場になると、19時はすでに真っ暗で、毎日必死に自転車を漕いでいた。この頃は、どこに行くにもふたりを乗せて走っていた。

いつまでもこの自転車をふたりを乗せて漕ぎ続け、走り続けるんだろうか…そんな錯覚に陥っていた。

それはまさに「先の見えないトンネル」で、そんな日が永遠に続くような気さえしていた。

…といっても、子どもというのは成長する。わたしが願おうが、願わなかろうが、子どもたちはそれぞれの人格をもって、自分の社会というものを形成しはじめる。

学校に行けば、友だちと遊ぶようになるし、部活をすると帰ってくる時間も遅くなるし。

気がつくと、子どもたちは自分で自転車を漕いでどこにだって行けるようになる。

いつの間にかわたしは、仕事が少し遅くなると子どもたちは勝手に食事を済ませてくれるようになり、休みの日も、好きな時に買い物にだって、美容院にだって行ける。

そう、ひとりで自転車に乗って。

嵐のような日々が過ぎ去った後で気づくもの

嵐のような日々が過ぎ去った後で気づくもの

子どもの成長とともに、自分にも自由な時間が訪れる。

赤ちゃんの時は、睡眠すらまともに取れなくて、「寝かせてくれー」と何度も叫びそうになったし、実際に何度も叫んでいた。

今は、休みの日は好きなだけ朝寝坊もできる。娘も息子も対等に会話も出来るし、それぞれの生活、社会の中で、わたしが教えられることも増えてきた。

成人したら、子育て終了!お役御免!

「もういつ死んでも大丈夫」というある種の気楽さを感じつつ、それぞれの成人式も無事に迎えることができた。

ゆずきりん
ゆずきりん

無事にここまで生きてくれているだけでも十分だろ、と思う。

立派な子育てができたとはぜんぜん思わない。むしろ、離婚もしたり、引越しもしたり、子どもにとっては理不尽なこともあったはず。

と、まあ、そんなある日。

TVのニュースで「女性もキャリア形成がすすみ、仕事が楽しくなりはじめる30代に突入すると、キャリアと結婚や出産の選択に迫られるが踏み切れない(要約)」というのを観た。

いちばんしんどい世代だよね。個人的には、べつに結婚も出産もしたくなければしなくてもいいと思っているのだけど、女性の幸せは「結婚して子どもを産むこと」といった考えの人が(とくに世代が上の人)まだまだいるので、厄介だよなー

うちの娘は結婚しなさそう…と思いつつ、娘と喋っている時にふと思い出した。

わたし 「そういえば、保育園の途中にオブジェがあってんけど…」

あの時、こんなことしてたんやでーって話そうと思った瞬間

娘 「あー覚えてるで、それ。ぶどうやろ?」

…なんだろう、この言葉を聞いて、もうなんか今までのしんどかったこととか、もうすべてどうでもよくなったw

報われたじゃないけど、一瞬で消化したと思えた。

はい、子どもは親の姿をちゃんと見ていて、ちゃんと覚えているのですよ。

ほんの何気ない日常会話。

お互いの視点は違っていたかもしれないけれど、それらがお互いに心の中に残っていて、結びついたんだよね。

ゆずきりん
ゆずきりん

真っ暗なトンネルだと思っていても、いつかは抜けたくなくても抜ける日がきてしまうのだよ

今は、子育てがめっちゃしんどくて、先が見えなくて、追い詰められそうになっている人たちも

いつかトンネルを抜けた時に見える景色があると信じてください。

ひとりで頑張らないようにしましょう!

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